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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記17章

聖書日課 出エジプト記17章(新共同訳 旧約pp.122-123)

 イスラエル民族のエジプト脱出には、実に多くの主なる神の奇跡の御業が伴っていた。エジプトを襲った10の災い、主の過ぎ越し、雲の柱と火の柱、葦の海の奇跡、うずらとマナ…、これらは皆、イスラエル民族の解放のために主が起こされた御業であり、主がイスラエルと共におられることを示す出来事だった。これによって、イスラエルの人々は勿論のこと、エジプト人も、また他の周辺諸国も、主の御臨在と御力を知るためにあらわされた御業である。

 ところが、これらの御業を最も身近に体験していた筈のイスラエルの民は、荒れ野の旅路の間、何度も何度も「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と主なる神の臨在と力を疑った。

「主はモーセに言われた。『イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる』。モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、『果たして、主は我々の間におられるのかどうか』と言って、モーセと争い、主を試したからである」(5~7節)。

 彼らは主なる神に向かって呟き、モーセ「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか」と不平不満をぶつけ(3節)、彼を「石で打ち殺そう」とさえした(4節)。実は、聖書に記されているイスラエル民族の歴史は、そのような不信仰と罪の繰り返しの歴史でもある。

 しかし、同時にその歴史は、イスラエルを愛し、彼らと共にいて、導き、守り、助け、祝福しようとされた主なる神の歴史でもある。いや、本来、聖書を読むというのは、主なる神がどのような方であり、どのようなことをして下さったのかを知るためである。主なる神が、罪ある人間をどんなに愛して下さっているか、人間を罪と滅びから救い出すために何をして下さったか、聖書を読めば読むほど、恵み深い主なる神を知り、より一層主なる神に信頼して生きることが出来るようになる。それが聖書を読む最も大切な目的である。

「飲み水がなかった」ことでモーセと争い」(1~2節)、主を試み疑ったイスラエルの民。彼らの不平不満と不信仰の姿は、まさに私達自身の姿を映し出す鏡である。しかし、そのような民のために、主なる神はモーセに命じて「岩を打」たせ(6節)、水を湧き出させて下さった。

 パウロは、「この岩こそキリスト」であり、岩なるキリストが打たれたことによって命の水が湧き出たと言っている(コリントの信徒への手紙一10章4節)。聖書を読んでいると、このような所にもイエス・キリストを見つけることが出来る! そして、聖書を通して、いにしえの神の民と現代の神の民が出会い、イエス・キリストによって一つの民とされていることを知ることが出来る! 何と素晴らしいことだろう! 聖書を読む楽しみは、このような所にもある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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