聖書日課 ヤコブの手紙2章(新共同訳 新約pp.422-424)
ヤコブは手紙の中で主なる神の御言葉を行うことを強調している。それは救いのためではない。イエス・キリストを主と信じて救われた後、「完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない」者へと成長するためである(1章4節)。
「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」(1章22節)。
「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか」(14節)。
しかし、私達には行いに対する苦手意識がある。ここで言われているのが〈立派な〉行いだと思い込んでいるからである。そうではなく、〈信仰による〉行いである。
主なる神を信頼して行動を起こすことを主なる神は喜ばれる。また、主なる神に対する私達の信頼も深まる。
「神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう」(21~22節)。
信仰は行いと共に働き、行いによって完成する。私達はイエス・キリストを信じて神の子として新生した。子供の成長を親が嬉しく思うように、父なる神は、私達が神の子として成長することを願っておられる。
イエス・キリストを信じて救われた後も、自分が恵まれ、愛されることだけを求め、他人を恵み、愛することが出来ない「幼子」(ヘブライ人への手紙5章13節)の状態に留まってはいないだろうか。さあ、信仰の完成を目指して、〈信仰をもって〉一歩踏み出してみよう。イエス・キリストを信頼し、イエス・キリストに依り頼んで、御言葉を行っていこう。
西原新生バプテスト教会
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