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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙4章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙4章(新共同訳 新約pp.355-357)

 主なる神はユダヤ人であれ異邦人であれ、イエス・キリストにあって「一つの希望にあずかるように招かれ」た。それ故、パウロはエフェソの教会の聖徒達に、「一つ」になるよう勧めた(3~6節)。

「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(1~3節)。

 私達は、このような生き方が出来たら、どんなに素晴らしいことかと思う。しかし、現実はそう簡単にはいかないと考えてしまう。だが、聖霊「平和のきずな」を結んで、教会を「一つ」にして下さった。だから、「霊による一致を保つ」ことが私達の召しであり、使命である。

 また、私達が「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ」るために教会があるとパウロは教えている(21節)。

「この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(10~13節)。

 イエス・キリスト「ある人」に務めを与えられたのは、聖徒が「キリストの体を造り上げてゆき」「神の子に対する信仰と知識において一つのものとな」るためである。信仰は御子イエス・キリストを知ることから始まる。イエス・キリストに対する信仰と知識の一致がなければ、教会は分裂する危険性が生じる。しかし、信仰と人格において「未熟な者ではなくなり」(14節)、「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長」した時、私達は、この世の「風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく」(14節)、イエス・キリストの愛を実践出来る。教会の成長と私達一人一人の成熟は、決して無関係ではない。聖徒が一致して教会の「頭であるキリスト」(15節)に従う時、教会は堅く建てられていく。

 またパウロは、もう一つ大事なことを教えている。

「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」(22~24節)。

 私達がイエス・キリストに似た「新しい人」として生きるためには、まず「古い人を脱ぎ捨て」る必要がある。ところが、この点で私達はなかなか前に進むことが出来ない。つまり、古い自己中心的な生き方を捨てて、主なる神の導きに素直に従おうとせず、いつも誰かを責めたり、赦せなかったり、不平不満で一杯になったりしてしまう。

「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしり」、またこれらの罪の原因である「一切の悪意」は(31節)、「地上のもの、この世のもの、悪魔から出たもの」(ヤコブの手紙3章15節)である。これらを捨て去ってこそ、イエス・キリストの平和を味わうことが出来る

 その上で、主なる神の愛に倣って、「悪い言葉を一切口に」せず、「その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語り」「聞く人に恵みが与え」よう(29節)。また、「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合」おう(32節)。勿論、これらは、聖霊の助けなしには出来ないことである。だから、私達は「心の底から新たにされ」るために(23節)、聖霊に拠り頼み続けよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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