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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 ペトロの手紙一1章

聖書日課 ペトロの手紙一1章(新共同訳 新約pp.428-429)

 ペトロの手紙一は、使徒ペトロが、小アジア「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア」にあった教会に宛てて書いた手紙である。冒頭に「離散して仮住まいをしている選ばれた人々へ」と記されている(1節)。当時教会に対する激しい迫害が起こり、多くのキリスト者が、その信仰の故に家を追われ、仕事を奪われ、命からがら逃れて来ていた。

 イエス・キリストへの信仰の故に奪われたり、失ったりするものがある。私達がこのことを知るのは大切である。そうでないと、信仰が単に自分の欲するものを得るための手段に成り下がり、私達は「神様こうして下さい。ああして下さい」と願うことだけを考えるようになってしまう。

 では、信仰とは何だろうか。第一に、信仰は何かを得るための手段ではなく、既に与えられたものへの信頼である

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました」(3~4節)。

 この事実を信頼し、喜び、感謝することにキリスト信仰の土台がある。つまり、信仰は主なる神が成し遂げて下さった恵みの御業に対する信頼と感謝の応答である。それ故、私達は、たとえこの世で何かを失うことがあっても、なお生き生きとした永遠の希望を持ち続けることが出来る

「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」(5節)。

 また、ペトロは次のように記している。

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」(8~9節)。

 信仰はイエス・キリストを愛することである。それ故、私達は、どのような困難の中にあっても喜びを失わずにいることが出来る。何故なら、私達を命懸けで愛して下さったイエス・キリストが、どのような時にも共にいて下さるからである

「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒への手紙8章38~39節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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