聖書日課 ヘブライ人への手紙10章(新共同訳 新約pp.412-414)
私は、若い頃、全き信仰を手に入れるためには、何時間も続けて祈れるような祈りの集中力を付けたり、修行をしたり、頑張ることが必要だと思っていた。全き信仰は、自分の努力で手に入れなければならないものだと考えていた。皆様の中にもそのように思っている方がいらっしゃるかも知れない。しかし、それは完全な間違いであった。
聖書は言う。「ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされた」(10節)と。私達の救いの根拠は、〈人間の行為〉ではなく〈イエス・キリストの行為〉である。イエス・キリストがただ一度、十字架の上で流された血潮によって、永遠の贖いが完成した。人間が自分の救いのために為すべき業は、何も残されていない。
「更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」(21~22節)。
では、どのような信仰なら「信頼しきって」と言えるのだろうか。
「信頼しきって」いる信仰とは、イエス・キリストの信仰に他ならない。人間の信仰では有り得ない。聖霊によってイエス・キリストの信仰を与えられる時、私達は「真心から神に近づ」くことが出来る。
御子イエス・キリストと父なる神の完全な関係の中に私達も招き入れられた。そのことによって、イエス・キリストが全幅の信頼を置いて「父よ」と祈られたように、私達も「天におられるわたしたちの父よ」と祈ることが出来るようになった(マタイによる福音書6章9節)。これこそ全き信仰である。
今日も「天のお父様」と呼びかけよう。この御方は、生きて働いておられ、私達の呼びかけに必ず答えて下さる。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス