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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 ヨハネの黙示録2章

聖書日課 ヨハネの黙示録2章(新共同訳 新約pp.453-455)

 2章から3章にかけて、イエス・キリストからアジア州にある七つの教会」(1章4節)へのメッセージが記されている。その第一が「エフェソにある教会」(1節)への手紙である。

「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている」(2節)。

 自分を理解し、知っていてくれる存在がいることは、大きな励ましとなる。まして、それが主なる神であるなら尚更である。私達の人生には、誰にも理解してもらえないという状況が時々起こる。しかし、天に目を向ければ、そこにはいつも私達に目を留め、理解し、応援して下さる主なる神がおられる。その主なる神に、私達も常に目を向け、信頼し、全てを委ねて生きることによって、あらゆる困難や苦難を乗り越える勇気と力が与えられる

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった」(4節)。

 これには2つの意味が考えられる。一つは、信仰に導かれて間もない頃の新鮮な喜びや熱心さが、時と共に薄れてしまったということである。どんなことにも慣れや落ち着きはある。しかし、それが怠惰や高ぶりになってしまったら、私達は、いつの間にか主なる神への信頼や交わりから離れ、他の何かを主なる神よりも大事にするようになる危険性がある。実は、それがもう一つの意味である。つまり、主なる神の愛と交わりから離れてしまったということである。

 このように、信仰の喜びや熱心は、主なる神への信頼や交わりと表裏一体の関係にある。それ故、どちらかが欠けているとすれば、もう一方もおかしくなっている。それは信仰の危機、教会の危機と言っても過言ではない。だからこそ、イエス・キリストは、エフェソの教会に次のように警告した。

「だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう」(5節)。

「燭台」「取りのけ」られるとは、教会が教会でなくなってしまうということである。これは大変なことである。今、私達の心は、主なる神に向けられているだろうか。主に信頼し、主との交わりの中で喜びと感謝をもって、熱心に歩んでいるだろうか。私達は「初めのころの愛から離れ」ることが決してあってはならない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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