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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ヘブライ人への手紙2章

聖書日課 ヘブライ人への手紙2章(新共同訳 新約pp.402-403)

 人間にとっての最大の敵は、他の人でも自然災害でもない。人が決して勝つことが出来ず、いつも恐れているもの、それは死である。いかなる権力者も、いかなる学者もこれに勝つことは出来ない。私自身、死を子供の頃から大変恐れていた。私が生まれて2か月後に、3歳年上の兄が交通事故で死んだという話を、物心が付いて両親から初めて聞いた時、大変な衝撃を受け、「死ぬのは嫌だ!」と暫く何も手がつかなかったのを今でも覚えている。

 主なる神は、人をこの死から救い出すために、「死をつかさどる者、つまり悪魔」を滅ぼそうとお考えになった(14節)。しかし、人が悪魔に打ち勝たない限り、人に真の救いはやって来ない。主なる神の勝利は、人の勝利とはならないからである。

 そこで、主なる神は人として来られ、全人類の代表として悪魔と対決された。それが御子イエス・キリストである

「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(14~15節)。

 イエス・キリストが人として来られたということは、人としての心も、肉体の弱さも、限界も持っておられたということである

 天地万物を創造された主なる神、全知全能の主なる神が、人という限界の中に自らを限定し、ハンディキャップを背負って、悪魔と対決された。

「それでイエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」(17節)。

 イエス・キリストは、十字架にかけられて殺された。悪魔は勝ったと思ったことだろう。そして、私達にイエスは敗北したと信じ込ませようとする。イエスに代わって、別の人間がメシアとして立てられ、世界を完成させると主張する教えは後を絶たない。

 しかし、イエス・キリストは十字架において「成し遂げられた」(ヨハネによる福音書19章30節)と宣言された。イエス・キリストは人間を救い出すために為すべきことを全て果たされた。イエス・キリストにやり残しはない

 罪のない神の御子イエス・キリストは、私達の「罪を償うために」十字架でご自分の命を献げられた。これを〈贖い〉と言う。私達はイエス・キリストの贖いによって悪魔の手から救い出された。勝ったのは悪魔ではなく、イエス・キリストである。

 全人類の代表であるイエス・キリストが悪魔に勝利された。そして甦られた。この御方を主と信じる者には、永遠の命が与えられる。そして、この御方と共に勝利者とされる

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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