聖書日課 テモテへの手紙一1章(新共同訳 新約pp.384-385)
パウロはテモテに、自分がいかにして主なる神から福音宣教の務めを委ねられたかを語っている。
「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです」(12節)。
パウロは、自分が福音宣教の務めを果たしているのは、自分を「強くしてくださった」イエス・キリストの故であると述べている。これはパウロの心からの実感だろう。自分が行っていることの一つ一つに、彼はイエス・キリストの支えを感じていた。
パウロは、かつて教会を破壊し、「神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振るう者」だった。しかし、自分が主なる神に敵対しているのを「知らずに行ったこと」だったため、「憐れみを受け」た(13節)。そして、「キリスト・イエスによる信仰と愛と共に」、「主の恵み」を「あふれるほど与えられ」た(14節)。彼は、教会の迫害者だった自分、忠実でなかった自分を、イエス・キリストが「忠実な者と見なして務めに就かせてくださった」ことに心から「感謝して」いる(12節)。
パウロは、自分のことを「罪人の中で最たる者」(15節)と言っている。自分が犯した罪を思う時、私達はその過去から目を背けたくなる。或いは、自分を正当化し、過去に罪を犯した自分と今の自分を切り離そうとする。しかし、彼は自分を「罪人の中で最たる者」と言って憚らなかった。
ここに、私達が主に仕えるために求められることが明らかにされている。主の僕に相応しいのは、自分は「罪人の中で最たる者」と言える人である。言い換えれば、自分は罪人であると認識し、罪を悔い改めることを知っている人である。献身者とは悔い改める人である。
パウロは、自分が「憐れみを受けた」のは、イエス・キリストを「信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるため」であると確信していた。ご自身の「限りない忍耐をお示しにな」るために、主はパウロを選ばれたというのである(16節)。
主なる神の憐れみと恵みを思う時、私達は主なる神をほめたたえずにはいられなくなる。これが「祝福に満ちた神の栄光の福音」(11節)である。福音は、人の素晴らしさではなく、主の素晴らしさを伝える。
「永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン」(17節)。
西原新生バプテスト教会
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