聖書日課 テモテへの手紙二4章(新共同訳 新約pp.394-395)
テモテへの手紙には随所に「命じます」とか「命じなさい」と記されている。そして、テモテへの手紙二の最後も「命じます」で終わっている。
「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国を思いつつ、厳かに命じます」(1節)。
パウロはテモテに「厳かに命じ」ている。正式な重みのある命令である。その命令は、「神の御前」で、そして裁き主である「キリスト・イエスの御前で」なされている。しかも、パウロは、イエス・キリストの「出現とその御国」をしっかりと見据えていた。
キリスト者は今だけを見ているのではない。未来を見据えている。イエス・キリストが再臨されて御国が実現する未来である。このようにイエス・キリストの来臨という未来を視点にして今を見るのが、キリスト者のものの見方である。
逆に、今を視点にして未来を見ようとすると、物事を見誤る。それは、現実を通して主なる神を見ようとするのと同じである。現実が余りに大きく見えるので、主なる神が小さく見え、何も出来ない弱々しい方のように思われてしまう。そうではなく、主なる神の視点から現実を見なければならない。
2千年前、イエス・キリストは〈救い主〉として来られた。そして、再臨の時、イエス・キリストは〈裁き主〉として来られる。全てに結論を出されるのは主イエス・キリストである。この御方を愛し、この御方を信頼して今を生きよう。
パウロはその未来をしっかりと見据えて、「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです」と告白している(8節)。
この時、パウロは獄中にいた。処刑の日が近いのを感じ取っていた(6節)。しかし、パウロの目は、「かの日に」再臨の主イエス・キリストが「義の栄冠」を「授けてくださる」ことに向けられていた。そして、そこから福音を宣べ伝えるべき〈今〉、御言葉を教えるべき〈今〉が導き出されていた。だから、パウロはテモテに「厳かに命じ」ている。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2節)。
福音を宣べ伝えることは、重要な命令であり、キリスト者の人生の中心となる課題である。方法は様々だろう。文字通り〈語ること〉で伝えることが出来る。生き様や生活で語ることも出来る。文書やインターネットで伝えることも出来るだろう。キリスト者は各自の立場で「自分の務めを果た」すことを求められている(5節)。
御言葉を宣べ伝える勇気が与えられること、また宣べ伝える機会が与えられること、そして宣べ伝える言葉と生活を持つことを祈り求めよう。
西原新生バプテスト教会
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