聖書日課 テサロニケの信徒への手紙一2章(新共同訳 新約pp.374-376)
ユダヤにある教会は「ユダヤ人たちから苦しめられ」、テサロニケの教会はテサロニケの「同胞から苦しめられた」(14節)。ユダヤ人は、「主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく」、使徒を「激しく迫害し」(15節)、福音の広がりによって「異邦人が救われる」のを「妨げた」(16節)。テサロニケの人々も、教会に敵対し、悪意をもって攻撃した。
このような状況でも、テサロニケの聖徒達は「ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となり」(14節)、少しも揺らぐことなく信仰を堅く守った。
「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」(13節)。
彼らは、パウロ達から聞いた「神の言葉」を疑ったり拒んだりしなかった。伝えられた「神の言葉」を、「人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れ」て従う時、「神の言葉」は信じる者の中で「働いて」下さる。
また、聖霊の働きは、物理的な制約を越える。迫害によってパウロは、テサロニケの聖徒達から「しばらく引き離され」た(17節)。それに対し、パウロの敵対者は、彼が無責任に去り、戻ることはないと非難した。更に、テサロニケの聖徒達を見捨てたとか、恐れをなして逃げたと中傷した。
だが、パウロは、「顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではな」く(17節)、一時もテサロニケの聖徒達を忘れたことはなかった。彼はテサロニケに「一度ならず行こうとした」が、その計画は「サタンによって妨げられ」た(18節)。それでも、パウロは、テサロニケの聖徒達を「わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠」(20節)、「わたしたちの誉れ」(21節)であると述べている。
聖徒が一つになることは、ただ顔を合わせることではなく、聖霊にある交わりから始まる。サタンの妨害による物理的な分離も、時に聖徒をより堅く結束させる。
西原新生バプテスト教会
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