聖書日課 ガラテヤの信徒への手紙3章(新共同訳 新約pp.345-347)
この手紙の中で、パウロは、ガラテヤ教会の聖徒達の無理解と不信仰に対する怒りをあらわにしている。
「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか」(1~3節)。
このパウロの言葉を聞く時、人は何と惑わされ易い存在であるかと思わされる。ガラテヤ教会の聖徒達は、「“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとする」(3節)間違いを犯していた。それは、イエス・キリストへの信仰によって救われた人生を、「律法の実行」(10節)によって仕上げようとすることを意味していた。
それに対し、パウロは、彼らに信仰による救いの原則を確認させるため、ユダヤ民族の祖であるアブラハムにまで遡って、福音の真理を説明し、彼らの間違いを正そうとした。
「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」(6節; 創世記15章6節)。これが信じることによって義とされる根本である。聖書は一貫して、信仰による義と救いを説いている。
一方、アブラハムから430年後、律法が与えられた。律法は「違反を明らかにするために付け加えられたもの」(19節)で、「わたしたちをキリストのもとへ導く養育係」(24節)である。つまり、律法によって罪を示された者が、聖霊によってイエス・キリストへの信仰に導き入れられる。そこに律法の役割があった。その上で、パウロは次のように宣言している。
「しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(25~26節)。
「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」(29節)。
私達は、ここでパウロが語っていることを確信しているだろうか。
西原新生バプテスト教会
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