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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ガラテヤの信徒への手紙2章

聖書日課 ガラテヤの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.343-345)

 パウロは、ペトロが「アンティオキアに来たとき」(11節)のことについて語っている。

 ペトロは、アンティオキアの異邦人キリスト者「一緒に食事をしていた」。しかし、エルサレムからユダヤ人が来たという知らせを聞くと、急に「しり込みし、身を引こうとしだした」(12節)。そして、ペトロがそのような態度を見せると、「ほかのユダヤ人」キリスト者も、ペトロと共に「心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしま」った(13節)。

 パウロはペトロに対し問題の核心を指摘した。

「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」(14節)。

 ペトロをはじめとするユダヤキリスト者に対し、「彼らが福音の真理にのっとってまっすぐに歩いて」おらず、他の人々に律法の重荷を負わせるファリサイ派の過ちに陥っていることを指摘したのである(マタイによる福音書 23章4節)。

 その上で、パウロは、ユダヤ人も異邦人も「律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」(16節)と強調する。「律法の実行によって」義と認められる人は「だれ一人として」いない(16節)。

 また、恵みの福音を嘲笑い、「キリストは罪に仕える者」と非難する人々の主張をパウロは否定する。信仰によって義と認められる「神の恵み」(21節)を知ったなら、欲望のままに、好き勝手に生きようなどと最早願わなくなる(ローマの信徒への手紙6章2節)。また、「キリストによって義とされ」た者が、もう一度「律法の実行」によって義を立てようとするなら、それは「自分で打ち壊したものを再び建てる」ようなものであり、「自分が違反者であると証明する」ことになる(18節)。

 私達は「律法の実行」に失敗したので、「律法に対しては律法によって死んだ」者である。しかし、「キリストと共に十字架につけられ」「神に対して生きる」ようになった(19節)。主なる神に対して生きる人生は、「キリストがわたしの内に生きておられる」人生であり、「わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰」によって生きている人生である(20節)。それは「神の恵み」(21節)の人生である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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