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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下16章

聖書日課 歴代誌下16章(新共同訳 旧約p.690)

「ユダの王アサ」は信仰に篤い王だったが、晩年は少し様子が違っていた。

 第一に、イスラエルの王バシャ」「ユダに攻め上って来」た時、イスラエルの北に位置する「アラムの王ベン・ハダド」「同盟」を結ぶことによって援軍を得、この戦いに勝利した。「アサの治世第三十六年」のことである(1~6節)。

 しかし、このことは主なる神の目には愚かなことであった。かつて「クシュ人ゼラが百万の軍隊と戦車三百両を率いて」攻め上って来た時(14章8節)、アサは主なる神を信頼し、「彼の神、主を呼び求めて」勝利した(10節)。

 にもかかわらず、何故今回は「アラム王を頼みとし」、主なる神を「頼みとしなかった」のか。アサはかつての素晴らしい体験を忘れてしまったのだろうか。

「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く」(9節)。

 そのように指摘した「先見者ハナニ」にアサは「怒り」「彼を獄に投じた」(7~10節)。

 使徒パウロはガラテヤ教会の人々に「“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか」と問いかけた(ガラテヤの信徒への手紙3章3~4節)。アサ王もまさに治世を「“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げよう」としていた。

 第二に、アサ王は「その治世第三十九年に足の病にかかり、その病は極めて重かった」。しかし、「彼は主を求めず、医者に頼った」(12節)。

 当時の医療には呪術的な要素が色濃く見られ、「医者」は呪術をもって治療しようとした。(だから、この箇所をもって、全ての病は信仰によって癒すべきであり、医者に頼るのは不信仰だと解釈するのは極論である)。

 このように、アサ王の晩年には不信仰な面が表れていた。

 信仰を生涯全うするのは、至難の業である。それでも、主なる神と「心を一つにする」者を、主なる神は求めておられる。イエス・キリスト「心を一つに」して、共に働いてくれる者を探しておられる。

 主なる神と「心を一つにする」。これは人には出来ない。だからこそ、ガラテヤの信徒への手紙でパウロが述べているように、「“霊”によって」歩む必要がある。

 アサ王の時代と違い、私達は、イエス・キリストを信じ、聖霊を受けて歩む新約の中にある。そのことを感謝せずにはいられない。聖霊なる神に頼ろう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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