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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書18章

聖書日課 ルカによる福音書18章(新共同訳 新約pp.143-146)

「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」(11~12節)。

 これは、イエス・キリストが語られたたとえの中に登場するファリサイ派の人の祈りである。まるで就職試験の自己アピールのように、自分の正しさ、自分の頑張りを主なる神に向かって主張している。勿論、奪い取る者でないことも、不正な者でないことも、姦通を犯す者でないことも、断食も十分の一の献げ物も善いことばかりである。しかし、やはりこの祈りは、明らかに何かが間違っている。

 それは、この人が自分の罪に全く気付いていない、或いは認めていないことから来る間違いである。イエス・キリストも言われたように、この人は、「自分は正しい人間だとうぬぼれて」(9節)いたのである。

 そもそも、他の人と比較して、自分は正しいと思うこと自体が間違っている。その上、「他人を見下している」(9節)とすれば、それは自分を主なる神の位置に置いて人を裁く傲慢の罪を犯していることになる。大切なことは、自分自身が主なる神の御前にどうであるかである。

 仕事にしても、奉仕にしても、頑張っている人は、得てしてこういう傲慢に陥る危険があることを覚えていたい。ファリサイ派の人々というのは、まさしくそういう人々だった。私達は寧ろ、元気に仕事が出来ること、心を込めて主なる神に仕えさせていただけることを、感謝する者でありたい。イエス・キリストも、弟子としてのそういうあり方を教えている。

「命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」(ルカによる福音書17章9~10節)。

 実は、このような謙遜こそが、継続的な働きの力を生み出していく。それは、このたとえの後半に登場する徴税人の祈りと、それに対するイエス・キリストの評価からも分かる。

「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(13~14節)。

「へりくだる者は高められる」…この真理を心に深く刻み、生きる者でありたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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