聖書日課 ルカによる福音書17章(新共同訳 新約pp.142-143)
エルサレムへ上る途中(11節)、イエス・キリストは、サマリアとガリラヤの間の或る村に入られた(12節)。すると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま(12節)、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ(13節)。律法によると、この病気に罹った人は、人々の近くに行くことが禁じられていた。そのため、イエス・キリストの傍まで来ることが出来なかった。
イエス・キリストは、この人々を御覧になると、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた(14節)。祭司は、この病気が癒されたかどうかを判別し、もし癒されていれば、「あなたは清い」と宣告し、社会復帰の許可を与える役目を担っていた。そのため、この十人の人は、イエス・キリストの言葉を聞いて、期待に胸を膨らませながら祭司のところに向かって行ったに違いない。そして、その途中で全員が癒され清くされた(14節)。
すると、その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で主なる神を讃美しながら戻って来た(15節)。そして、イエス・キリストの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人だった(16節)。この時、イエス・キリストは次のように言われた。
「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」(17~18節)。
この時、イエス・キリストは、癒された人が、主なる神を讃美し感謝するために戻って来たことを喜びながらも、戻って来ることのなかった残りの9人のことを思い、とても悲しかったに違いない。
勿論、全員が癒されたのは素晴らしいことであった。しかし、体の癒しよりも更に大切なことがあった。それは、罪が赦され、イエス・キリストとの交わりの中に入り、永遠の命と救いをいただくことである。何故なら、イエス・キリストは、そのためにこの地上に来られ、私達の身代わりとなって十字架にかかって下さったのだから。
結局、この9人は、癒しを求めていただけで、罪からの救いや神の国を求めていたわけではなかった。そのため、救いを受けることはなかった。それは、十字架にかかるためにエルサレムに向かっておられたイエス・キリストにとって、深い悲しみを覚えることであっただろう。
しかし、主なる神を讃美しながら戻って来た人を見て、イエス・キリストは喜びつつ言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(19節)。
西原新生バプテスト教会
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