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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書20章

聖書日課 ルカによる福音書20章(新共同訳 新約pp.148-151)

 律法学者とは、文字通り聖書の律法に通じる学者のことであるが、当時イスラエルの社会では、宗教的な権威であると共に政治的な影響力を持つ人々でもあった。イエス・キリストは、そのような立場にある人々を名指しで非難した。

「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(46~47節)。

 当然、律法学者をはじめとする宗教的・政治的指導者は、一斉にイエス・キリストを攻撃し、論争を仕掛けてきた。そして、遂にイエス・キリストを十字架にかけて殺してしまった。

 権力者を非難すれば攻撃され殺される。これは世の常と言える現実である。だから、人々は公に権力者を批判することを避ける。しかし、イエス・キリストはそうではなかった。それどころか、歯に衣着せぬ激しさで、時の権力者を批判した。

 一方、律法学者をはじめとする指導者はどうであったかと言えば、彼らは〈イエス憎し〉と論争や攻撃を次々に仕掛けてきた。しかし、多くの民衆がイエス・キリストを支持していたため、イエス・キリストに手を下すことが出来なかった。つまり、彼らは「民衆を恐れた」(19節)のである。

 彼らが拠り頼んでいたのは、主なる神ではなく、宗教的・政治的権威であった。そして彼らは、人の目を恐れ、人に気に入られることを求めて生きていた。そこにイエス・キリストとの決定的な違いがあった。イエス・キリストは、天におられる父なる神を畏れ、天の父に常に目を向け、聞き従って生き続けた。父なる神を生き方の中心とし、父なる神に喜ばれる道をまっすぐに歩まれた

 さて、私達はどうだろうか。私達は、常日頃何を恐れ、何に目を向けて生きているだろうか。律法学者のように、人の目を恐れ、真理から離れるような生き方をしてはいないだろうか。イエス・キリストのように、恐れに振り回されず、真に恐るべき方を畏れ敬うことが、生きる道であり、終わりの日に救われる生き方である

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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