ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 マルコによる福音書8章

聖書日課 マルコによる福音書8章(新共同訳 新約pp.76-78)

「一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った」(22節)

 これは、マルコによる福音書だけが記しているイエス・キリストの癒しの奇跡であるが、信仰について大切なことを教えてくれる。

 イエス・キリストが病人を癒す時、殆どの場合、一言で、或いは一瞬で癒されてしまう。しかし、この盲人の目の癒しの場合、少し違っていた。この盲人の目が完全に癒されて、よく見えるようになるには、二度にわたるイエス・キリストによる癒しの業が必要だった。

 イエス・キリストが、最初に「盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった」時には(23節)、この盲人は、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と報告した(24節)。つまり、癒しは完全なものでなかった。

 そこで、イエス・キリストはもう一度癒しの御業をこの盲人に施した。

「そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった」(25節)。

 このようにイエス・キリストが、同じ人に二度にわたり癒しの御業を行ったという出来事はとても珍しい。しかし、これを私達の信仰や人生に当てはめてみれば、決して例外的な出来事ではない。

 というのは、私達も、同じことで何度もイエス・キリストのお取り扱いを受けなければならない者だからである。それは、私達がいかに頑固で、愚かで、鈍い者であるかということを物語っている。しかし、見方を変えれば、この出来事は、イエス・キリストがそのように愚かで鈍い私達を決して諦めず、決して見捨てず、何度も何度も癒し、清め、造り変え続けて下さる方であるということを示している。

 今、皆さんの中に、自分の弱さや愚かさに嫌気がさして、諦めかけたり、投げ出したくなっている方がおられるかも知れない。しかし、主イエス・キリストは、決してあなたを諦めたり、見捨てたりはなさらない。あなたを癒し、清め、助けるために、もう一度あなたに手を差し伸べて下さる。