ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マルコによる福音書9章

聖書日課 マルコによる福音書9章(新共同訳 新約pp.78-80)

 山の上で栄光の姿を現された後(2~13節)、イエス・キリストは再び麓の町に戻られた。すると、弟子達が大勢の群衆に囲まれて、律法学者と議論していた(14節)。イエス・キリストが「何を議論しているのか」とお尋ねになると(16節)、或る人が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。…この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした」(17~18節)。

 それに対し、イエス・キリストはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」(19節)。

 子供から霊を追い出すことが出来なかった弟子達、それを見て議論を吹きかけてきた律法学者達、そして、その周りでただ呆然と見ていることしか出来ない父親と群衆…、問題があるのに、誰一人解決出来ず、ただ争っているばかりの人々を御覧になって、イエス・キリストは嘆かれた。

 しかし、イエス・キリストは何もしないでいたわけではなかった。「その子をわたしのところに連れて来なさい」(19節)と言われた。問題をイエス様のところに持って行くこと、ここにあらゆる問題の解決の道がある。

 人々は、その子をイエス・キリストのもとに連れて行った(20節)。すると、イエス・キリストは、一言でその子から霊を追い出された(25~27節)。家に帰った弟子達は、イエス・キリストに「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた(28節)。イエス・キリストは答えられた。「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」(29節)。

 この時、イエス・キリストは見抜いておられた。弟子達に祈りが欠けていることを。彼らには、霊を追い出す権威が与えられていた(6章7節)。にもかかわらず、そうすることが出来なかったのは、祈りによって主なる神と交わり、祈りによって信仰の確信に立つことを怠っていたからである。

 イエス・キリストを信じて、罪を赦され、救われたキリスト者であっても、祈りによって主なる神と交わり、信仰の確信に満たされていなければ、悪霊に勝利することは出来ない。祈りが不可欠であることを改めて教えられるエピソードである。