ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マルコによる福音書10章

聖書日課 マルコによる福音書10章(新共同訳 新約pp.80-83)

「一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた」(46節)。

 盲人の物乞い…それだけで、この人が今までどんなに多くの苦しみを経て来たかが想像出来る。だとすれば、彼が、街中の大勢の群衆の中でイエス・キリストに助けを叫び求めたとしても、少しも不思議ではない。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(47節)…これは、この盲人の魂の奥底からの必死の叫びだった。

 ところが、そこにいた多くの人々は、この盲人を「叱りつけ黙らせようとした」と記されている(48節)。人々は、物乞いのこの人を忌み嫌い、軽蔑していたに違いない。当時人々は、金持ちは主なる神に祝福された者で、貧乏人は祝福されていないと考えていたからである。或いは、目が見えないこの人を、主なる神に呪われた罪人と見なしていたのかも知れない。いずれにせよ、そこには当時のユダヤ社会の風潮や、人々のものの見方がよく表れていた。

 しかし、イエス・キリストのこの盲人の物乞いに対する見方は、全く違っていた。イエス・キリストは既にこのように言われていた。

「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである」(ルカによる福音書6章20節)。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコによる福音書2章17節)

 だからこそ、盲人の叫びを聞いたイエス・キリストは、立ち止まってこう言われた。「あの男を呼んで来なさい」(49節)。男は飛び上がって喜び、着ていた上着も脱ぎ捨てて、すぐさまイエス・キリストのところへ駆けつけて行った(50節)。そして、この男の目は見えるようになった(52節)。

 イエス・キリストはこの人に「あなたの信仰があなたを救った」と言われた(52節)。彼の信仰は、イエス・キリストが貧しい人々に幸いをもたらす方、病人を癒し、罪人を救いに招き入れる方であるという深い信頼から生まれたのではないか。私達も、イエス・キリストに対し、そのような信頼をもって、叫びたいと思う。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください!」