聖書日課 マラキ書3章(新共同訳 旧約pp.1499-1502)
マラキ書と言えば、〈十一献金〉を思い浮かべるキリスト者が沢山いるだろう。それは、「立ち帰れ」という主なる神の悔い改めの勧告に関連して教えられている。
主なる神の掟を離れ、それを守ろうとしない人々に向かって、主なる神は、「立ち帰れ、わたしに」と呼びかけ(7節)、「あなたたちはわたしを偽っている」と警告した(8節)。しかし、人々は、「どのように立ち帰ればよいのか」、「どのようにあなたを偽っていますか」と言い、自分達の罪や偽善を認めるどころか、気付いてさえいない状態だった。
この時人々は、生活もままならない状況に不満を覚え、主なる神への不信感で一杯になっていた。「十分の一の献げ物などしたところで何になるのか!」と人々は思っていた。
しかし、主なる神は言われた。
「十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう」(10節)
「これによって、わたしを試してみよ」というのは、「わたしを信頼せよ」という呼びかけである。つまり、十分の一の献げ物とは、主なる神への信頼を意味していた。主なる神は、主に信頼する者のために、必ず天の窓を開き、祝福を限りなく注いで下さるという信仰、それが十分の一の献げ物の意味である。
主なる神は、私達がそのような信頼と信仰を主なる神に置いて生きることを願っておられる。その時、溢れるばかりの祝福が天から注がれる。
「また、わたしはあなたたちのために/食い荒らすいなごを滅ぼして/あなたたちの土地の作物が荒らされず/畑のぶどうが不作とならぬようにすると/万軍の主は言われる。諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと/万軍の主は言われる」(11~12節)
あなたはこの約束を信じているだろうか。そして、主なる神に全幅の信頼を置いて生きているだろうか。