聖書日課 ハガイ書1章(新共同訳 旧約pp.1476-1477)
70年間に及ぶバビロン捕囚から解放され、イスラエルの人々は故国の地に帰還した。それから16年ほどの年月が経過した。しかし、エルサレムの神殿は未だ再建されないままであった。実は、帰還した人々はすぐに神殿再建に取りかかったが、自分達の生活もままならぬ状況の中で周辺諸国の妨害が起こったため、工事を中断した。そして、そのまま16年もの年月が経過してしまった。
確かに最初のうちは理解出来る理由があったのかも知れない。しかし、さすがに3年、5年、10年と時が過ぎると、それはもう状況や周りのせいにばかりするわけにはいかなくなっていた。何故なら、彼らは既に板張りの立派な家に住んでいるのに、神殿は荒れ果てたままになっていたからである(4節)。
預言者ハガイは、そのようなイスラエルの人々に主なる神の言葉を伝えた。
「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると/主は言われる」(8節)
主なる神は自分の家が欲しかったのだろうか? いいえ、そうではない。主なる神が求めたのは、人々の心である。その時イスラエルの人々は、目に見えない主なる神よりも目に見える現実を、神殿よりも自分達の生活を、そして信仰よりも経済を優先させていたため、主なる神への信頼と従順が全く失われた状態だった。そのため彼らは、主なる神が与えようとしておらえる豊かな祝福に与れないままでいた。
「種を多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても、満足することなく/飲んでも、酔うことがない。衣服を重ねても、温まることなく/金をかせぐ者がかせいでも/穴のあいた袋に入れるようなものだ。万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ」(6~7節)
何をやってもうまくいかない、努力しても実がみのらない…、私達も時々そのようなジレンマに陥ることがないだろうか。そのような時、私達は「自分の歩む道に心を留め」て確認してみる必要がある。私達は本当に主なる神に信頼しているだろうか。本当に主なる神に従っているだろうか。そして、本当に主なる神を第一に愛して生きているだろうかと。主なる神が求めておられるのは、そのような心である。そして、そのような心があるところに、主なる神は溢れるばかりの豊かな祝福を注いで下さる。