聖書日課 ヨナ書3章(新共同訳 旧約p.1447)
何故主なる神は、ヨナを荒れ狂う海の中に投げ入れるようにされたのだろうか。何故主なる神は、ヨナを巨大な魚に呑み込ませたのだろうか。それは、主なる神に、ヨナを用いてどうしても成し遂げたいことがあったからである。
悔い改めて主なる神に立ち帰ったヨナに、主なる神は即座に「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ」と命じられた(1~2節)。
主なる神はニネベの人々を救おうとしておられたのである。そのために、ヨナを遣わして警告を与え、彼らを悔い改めに導こうとされた。
今度こそ、ヨナは即座にニネベに向かって行った(3節)。〈悔い改め〉とは〈方向転換〉である。罪を悔い改めたヨナは、以前とは違って、主なる神が示す方向にまっすぐに進み始めた。
すると、素晴らしい主の御業が起こった。ヨナがニネベの人々に向かって叫ぶと(4節)、ニネベの人々は、身分の高い者も低い者も皆、粗布をまとい、断食を呼びかけたのである(5節)。ニネベの王でさえも、王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し断食した(6~7節)。
人が、自分の好き勝手な道ではなく、主なる神の導きに従って、主なる神が示される方向に歩み始める時、そこに主なる神の恵みの御業が現れる。主なる神は、主なる神の導きに従う者を通して、大いなる御業を行い、豊かな恵みを注がれる。
ヨナは、以前の自分の愚かさを改めて思ったに違いない。主を信頼せず、主から逃れようとすることの愚かさを。そして、どこまでも主を信じ、主に聞き従うことの大切さを知ったのではないか。また、主に聞き従う時、その結果は主なる神が責任を負って下さるということも。
この時、主なる神は、悔い改めて悪から離れたニネベの人々を御覧になり、彼らに下そうとしていた災いを思い直された(10節)。主は、イスラエルだけの主ではなく、全世界、全人類の主である。それ故、全ての人が救われることを願っておられる。そして、そのためにこそ、独り子イエス・キリストがこの地上に来られた。