聖書日課 ハバクク書1章(新共同訳 旧約pp.1464-1465)
主なる神がいるなら、どうして悪が世に蔓延るままになっているのか? 「神に逆らう者が正しい人を取り囲」んでいるのに、何故主なる神は悪者を裁いて正しい者を助けられないのか? 本当に主なる神は私達の祈りを聞いておられるのか? (2~4節)…「このような疑問を持つなんて、ハバククは不信仰だ!」という声が聞こえてきそうな書、それがハバクク書である。
しかし、よく考えてみると、このような疑問は、この世を適当に生きている人には決して浮かんでくるものではない。人生を真実に生きようとするからこその疑問である。つまり、預言者ハバククは、主なる神と人の前に真実な生き方を貫こうとしたからこそ、こういう疑問を率直に主なる神にぶつけた。
「何故?」「どうして?」という疑問が浮かぶこと自体は、決して不信仰ではない。不信仰かどうかは、その疑問をどこに向けるかによる。ハバククは、その疑問を主なる神に問いかけた。その疑問を通して主なる神と向き合ったのである。それは現実の信仰の姿と言えるのではないか。何故なら、信仰は、主なる神に心を向け、耳を傾け、真剣に主なる神から答えを聞こうとすることだからである。不信仰者は、主なる神に心を向けることも、向き合うことも、答えを聞こうとすることもない。
このハバククの問いかけに、主なる神は答えられた。
「見よ。わたしはカルデヤ人を起こす。強暴で激しい国民だ。これは、自分のものでない住まいを占領しようと、地を広く行き巡る」(6節)。
これは、主なる神が「カルデヤ人」(バビロン帝国)を用いてイスラエルの罪を裁くということである。ところが、この答えは、ハバククに更なる疑問を湧き上がらせた。神の民イスラエルを裁くために、「カルデヤ人」を用いるなど不公平ではないか。彼らは私達よりもっと悪いではないか!
このように、ハバククは主なる神に向かって率直に疑問をぶつけた。そして、その結果、遂に主なる神からの答えを見出した(2章2~4節)。主なる神に向かって問いかけ、主なる神から答えを得ようと待ち望む者に、主なる神は必ず答えて下さる。主なる神に、私達は真剣に問いかけているだろうか。主なる神に心を向け、主なる神と向き合って生きているだろうか。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみに包まれ、御前に祈りを献げることが出来ますことを心から感謝致します。
主よ、私達は人生の中で「何故?」「どうして?」と様々な疑問が浮かびます。しかし、答えを握っておられるのは、主よ、あなたです。
主よ、これからもあなたに問いかけていきたいと思います。あなたを告白したいのです。主よ、あなたを求め、あなたを告白する者に与えられるあなたの答えを私達にも知らせて下さい。
あなたの御心を知る時、私達は立ち上がることが出来ます。どうか、あなたの言葉をお与え下さい。
困難の中を歩かなければならないお一人お一人と共にあって、あなたご自身がお一人お一人を握り、背負って下さいますよう、心からお願い致します。あなたの祝福がお一人お一人に溢れるように注がれますように。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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