ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 アモス書2章

聖書日課 アモス書2章(新共同訳 旧約pp.1429-1430)

 1章に続いて本章でも、諸国民の罪に対する裁きが語られている。アモスは、主なる神の審判の象徴に火を用いているが(1章4節、7節、10節、12節、14節、2章2節、5節)、これは、主なる神の裁きが火のように全てを焼き尽くす破壊力があることを表している。

 そして、その裁きの矛先は、諸国民から神の民ユダとイスラエルに向けられている(4節、6節)。主なる神は諸国民の罪を裁かれるが、それと共に、いやそれ以上に、神の民の罪を裁かれる。

 しかし、その罪の内容を見ると、諸国民と神の民イスラエルの間には、はっきりとした違いがある。諸国民においては、彼らが行った他国民への残虐行為が糾弾されているが、ユダとイスラエルにおいては、彼らが主なる神の掟を守らず、偽りの神々に惑わされた罪が最初に糾弾され(4節)、加えて、弱者を踏みにじる罪が指摘されている(6~7節)。

 アモスの時代のイスラエルは、王国分裂後の第二の繁栄の時代を迎えていた。しかし、領土の拡大と交易の発展は、北王国に多くの富をもたらすと同時に、社会的不均衡や不公平、不道徳や宗教的堕落という深刻な問題を生み出していた。弱者と貧者は、富める者から社会的圧迫と蹂躙を受け、実に憐れな状態にあった。また、主なる神の掟を軽んじたことが、社会に秩序の乱れや道徳的腐敗を招き、人々の霊性は低下する一方であった。人々は、主なる神の名のもとに、カナン人のバアル宗教の祭儀を取り入れ、礼拝は形式化し、事実上の偶像崇拝に陥っていた。

 神の民は、主なる神を礼拝し、主なる神にのみ仕え、主なる神の掟を守ってこそ神の民である。その時初めて、主なる神の大いなる祝福が豊かに注がれる。たとえ主なる神に選ばれた者であっても、主なる神に聞き従うことがなければ、祝福を失う。

 その点で、イスラエルの人々は大きな間違いを犯した。彼らは主なる神の選びに胡坐をかき、自分達が果たすべき役割を果たそうとしなかった。主なる神の選びは素晴らしい恵みである。その恵みを豊かな祝福として保ち生かすために、私達は主なる神に信頼し、聞き従って、自分達に期待されている役目を果たしていくことを忘れてはならない。