ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 アモス書3章

聖書日課 アモス書3章(新共同訳 旧約pp.1431-1432)

 主なる神の選びは、特別なものである。主なる神がイスラエルを選ばれたのは、あの人々でも、この人々でも、誰でも良かったなどというものではない。勿論、たまたまとか、何となくといった気紛れでもない。主なる神はまさしくこのイスラエルを選ばれたのである(2節)。

 だからこそ、主なる神は、イスラエルがたとえ罪に陥り、裏切っても、それでも彼らを憐れみ続け、彼らを見捨てずにおられた。それが選びというものであり、主なる神はイスラエルへの誠実を決して忘れることはなかった。

 勿論、だからと言って、主なる神は罪をそのままにしておかれることはない。罪は必ず裁かれる。しかも、イスラエルの場合には、尚更厳しい裁きが下される。それは彼らが選ばれた者だからである(2節)。特別な立場には特別な責任が課せられるように、主なる神にとってイスラエルは特別な存在であるからこそ、罪に対してもより一層厳しく取り扱われる。

 イスラエルの罪は、主なる神の選びと祝福に胡坐をかき、選ばれた者としての責任を蔑ろにしたところにあった。しかし、これは決してイスラエルに限ったことではない。全ての富む者、全ての祝福された者には、夫々果たすべき責任が課せられている。だから、もしその人が富や祝福に胡坐をかいて責任を果たさないなら、その責任を問われる時が必ずやって来る。何故なら、全ての富と祝福は主なる神から与えられたものだからである。

 イエス・キリストを信じる者は皆、主なる神に選ばれた者である。私達は、主なる神の選びの中で、特別に愛され、守られ、祝福されている。私達は、このような選びに入れられていることの意味を、どれほど深く理解し、どれほど深く喜び感謝しているだろうか。また、それと共に、選ばれた者として果たすべき責任を、私達はどれほど深く自覚し、どれほど熱心に果たそうとしているだろうか。その自覚と熱心さを失ったままでいる時、教会もまた、厳しく裁かれる。

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう」(ヨハネの黙示録2章4~5節)