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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書39章

聖書日課 エレミヤ書39章(新共同訳 旧約pp.1251-1252)

 遂にこの日がやって来た。神の民として立てられていたユダ王国の都エルサレムが、バビロン軍によって占領される日が来た。

カルデア人は、王宮と民家に火を放って焼き払い、エルサレムの城壁を取り壊した。民のうち都に残っていたほかの者、投降した者、その他の生き残った民は、バビロンの親衛隊の長ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた」(8~9節)。

 ゼデキヤ王は「捕えられ」(5節)、「両眼をつぶ」されて「バビロンに連れて行」かれた(7節)。また、「王子たち」「貴族たち」は皆殺しにされ(6節)、都の主だった人々もバビロンへ「捕囚」として「連れ去られた」(9節)。

 しかし、これらのことは、決して偶然に起こったのではない。エレミヤをはじめとする多くの預言者によって、既に何十年も前から警告され続けていたことだった。つまり、全てはユダの人々が主なる神の御声に聞き従わずに拒否し続けてきたことによる結果だった。目に見えるところは、バビロンによって滅亡させられたが、その本質は、罪の故に主なる神によって裁かれたのである。

 とはいえ、私はこの出来事を読みながらふと思った。確かにこれは主なる神の裁きによるものであるけれども、主なる神は何度も何度も警告された。そうだとすれば、この滅亡は彼ら自身の選んだ道であり、その意味で、これは彼ら自身の自殺行為とも言える。

 しかし、主なる神は、そのような彼らを完全に捨て去ってしまわれたわけではなかった。主なる神は、バビロンの地でなお生き残る人々を置かれた。そして、彼らの心に主なる神の教えを刻み、悔い改めて主なる神に立ち帰る者とされた。

 主なる神の裁きは、罪人を悔い改めへと導く手段でもある。勿論、それは、辛く厳しいものである。しかし、悔い改めて主なる神に立ち帰るなら、やがて必ず義と平安の実を結ぶ者とされる。主なる神は確かに罪を裁かれる。しかし、その裁きでさえも、主なる神は私達を再び主なる神に立ち帰らせる手段として下さる。義なる神は、どこまでも愛なる神である。

「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ。おとめイスラエルよ/再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓をかかえ/楽を奏する人々と共に踊り出る」(エレミヤ書31章3~4節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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