Paul Helm, Calvin and the Calvinists, Murrayfield Road: The Banner of Truth Trust, 1982
(松谷 好明訳『カルヴァンとカルヴァン主義者たち』上尾: 聖学院大学出版会, 2003年, pp.162-163)
「このようにカルヴァンは、ピューリタンと共に、道徳律法の一つの重要な機能が人々に罪を自覚させることであることを力説したが、同時にまた、そのような人々を悔い改めと救いに導く信仰に至らせるためには、福音における神の恵みが必要であることを説いた。ピューリタンのアントニー・バージス[Anthony Burgess ?-? イギリス・ウォリック州のピューリタン牧師、ウェストミンスター神学者会議のメンバー]が言うように、福音の約束(the gospel-promise)がなければ律法は再生に向けて働くことは決してできない。こうした見解を取ることによって、カルヴァンとピューリタンの両者は、ローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙における律法についてのパウロの徹底した教えばかりでなく、バプテスマのヨハネ(例えばマタイ三・二二)、使徒たち(例えばマルコ一・一五)の説教に具体的に見られるような、新約の説教の性格を正しく扱おうと努めたのである。しかし、それに負けず劣らず、カルヴァンとピューリタンは、カルヴァンの言葉で言えば、『いかに多様な仕方でキリストはわれわれをご自身のもとに引き寄せたもうか』を強調したいと考えた。彼らは、キリスト者の経験の一つの型をあらゆる人に押し付けようとは思わなかった。そのような方向には、分裂をもたらす律法主義がひそんでいるからである。彼らは、ザアカイのような人とタルソのサウルのような人、ルディアのような人とナタナエルのような人など、いろいろな人の異なった経験を認めたいと考えたのである。ケンドールがしようとした仕方で、カルヴァンを、ピューリタンに対立させることには根拠がない」