ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書4章

聖書日課 ルカによる福音書4章(新共同訳 新約pp.107-109)

 イエス・キリストは、ガリラヤの町々を巡回して福音を説き続けた(14~15節)。一見すると、それは他の律法の教師達と同じようであった。しかし、人々は、その教えに非常に驚いた。何故なら、イエス・キリストの語る言葉には権威があったからである(31~32節)。

 それもそのはず、律法学者達がしていたのは、あくまでも律法の解説であったが、イエス・キリストは、主なる神の御言葉そのものであった。だからこそ、イエス・キリストの語る言葉は、人々の耳を捉え、思いを捉え、イエス・キリストについて何事かを考えないではいられないようにさせた。

 また、イエス・キリストの言葉に権威があったというのは、言葉にしるしが伴っていたことも関連している。その一つが悪霊追い出しである。

「ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。『ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。』イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』」(33~36節)

 もう一つのしるしは、病気の癒しである。

「イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた」(38~40節)。

 こういう記事を読むと、私はいつも自問を込めて思わされる。今日の教会で語られるメッセージには、果たしてこのような権威と力が伴っているだろうか。聖書の解説に終わってしまっていることはないだろうか。勿論イエス・キリストキリスト者は違う。しかし、キリスト者が主なる神からいただいた御言葉を語り、イエス・キリストを証しする時、主なる神の御言葉であるイエス・キリストの権威と力がもっと現される筈である。

 私達が今日も、聖書を通して、宣教を通して、イエス・キリストの権威と力ある御言葉を聞き続け、語り続けていくことが出来るように!