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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書29章

聖書日課 エゼキエル書29章(新共同訳 旧約pp.1342-1344)

 本章には、「エジプト」に対する主なる神の裁きの宣告が記されている。

「第十年の十月十二日に主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、あなたの顔をエジプトの王ファラオに向けて、王とエジプトの全土に対して預言し、語って言いなさい。主なる神はこう言われる。エジプトの王、ファラオよ/わたしはお前に立ち向かう。ナイル川の真ん中に横たわる巨大なわによ/お前は言う。「ナイル川はわたしのもの/わたしが自分のために造ったものだ」と。わたしはお前の顎に鉤をかけ/うろこにナイル川の魚をつけさせ/ナイル川の真ん中から引き上げる/お前のうろこについた川のすべての魚と共に。わたしはお前を荒れ野に捨てる/ナイル川のすべての魚と共に。お前は地面に倒れたままで/引き取る者も、葬る者もない。わたしは野の獣、空の鳥に/お前を食物として与える』」(1~5節)。

 エジプトは、旧約時代、アッシリアやバビロンと並ぶ世界の大国として栄えた。しかし、今その「エジプトの地は荒野に変わり、廃墟となる」と告げられている(9節)。

 どうして、そのようなことになってしまうのか? それは、彼らがナイル川はわたしのもの/わたしが自分のために造ったものだ」と言ったことに原因があった。前章のティルスに対する裁きで見たように、彼らもまた、高慢という罪に陥ったために主なる神の裁きを受けることになった。

 エジプトは、ピラミッドをはじめ、天文学、数学、医学、農業などにおいて、非常に高度な文化を誇る国だった。彼らはナイル川流域で畑を耕し、豊富な農作物によって豊かに暮らしていた。しかし、どんなに高度な文化があったとしても、それはナイル川が与える恵みを利用しての文化であり、彼らがナイル川そのものを造ったわけではない。

 そのような当たり前のことを棚上げにして自分の力を誇るようになるのが、高慢という罪の愚かさであり、恐ろしさである。エジプトもアッシリアも、バビロンもティルスも、アンモンもモアブも、エドムもペリシテも、そして、神の民イスラエルでさえも、皆高慢の故に主なる神の裁きを受けることになった。それほどに、高慢は人間の内側深くに巣食う罪の根である。

「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである」(ミカ書6章8節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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