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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書27章

聖書日課 エゼキエル書27章(新共同訳 旧約pp.1338-1340)

 27章はティルスのための哀歌である。前半はティルスの繁栄と美しさが語られ、後半はその没落と国々の民の悲しみが歌われている。

「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、あなたはティルスのために、嘆きの歌をうたいなさい』」(1~2節)。

 ティルスは、「海の出入り口を支配し、多くの島々を巡り、諸国の民と取り引きを行う」一大商業都市として繁栄した(3節)。しかも、彼らはその商取引によって自分だけが豊かになったというのではない。「お前は海を超えて商品を輸出し、多くの国々の民を飽き足らせ、豊かな富と産物で、地上の王たちを富ませた」と言われているように(33節)、彼らは自己中心の儲け主義に走ったわけではなく、商業の正道を行っていた。

 では、そのティルス「海の真ん中に沈む」ような滅びの日が訪れたのは(27節)、一体何故だろうか。それは、ティルスの言った次の言葉に示されている。

「…ティルスよ、お前は言う。『わたしの姿は美しさの極み』と」(3節)。

 ティルスは、自らの繁栄と栄光を誇っていた。つまり彼らは、主なる神に栄光を帰することが全くなかった。それどころか、26章でも見たように、ティルスの人々は、エルサレムの滅亡を嘲った。それは取りも直さず、彼らがイスラエルを選び建てられた主なる神を嘲り、軽蔑したことを意味していた。

 たとえ正しいやり方で得た成功であっても、それが自分の栄光や誇りのためで、主なる神の栄光のためでないならば、その栄光は必ず取り去られる時がやって来る。イエス・キリストは、自分の財産を誇る愚かな金持ちのたとえで、こう言われている。

「愚か者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。…自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(ルカによる福音書12章21節)。

 自分の栄光を誇り、主なる神に栄光を帰さないこの世には、やがてティルスと同じように、その繁栄と栄光と共に「海の真ん中に沈む」滅びの日がやって来る。「自分のために富を積」むのではなく、主なる神の祝福に満たされ、主なる神の栄光を表す者となりたいものである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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