聖書日課 詩編119編65~72節(新共同訳 旧約p.962)
信仰者の人生にも、誘惑や迷いがある。この詩人も、主なる神の教えから「迷い出て」、「卑しめられ」る経験をした。しかし、主なる神の恵みは、そのような苦しみと辱めの中にさえも注がれていた。それは、この詩人の告白によって分かる。
「(テト)主よ、あなたの御言葉のとおり/あなたの僕に恵み深くお計らいください。確かな判断力と知識をもつように/わたしを教えてください。わたしはあなたの戒めを信じています。わたしは迷い出て、ついに卑しめられました。今からは、あなたの仰せを守らせてください。あなたは善なる方、すべてを善とする方。あなたの掟を教えてください。傲慢な者は偽りの薬を塗ろうとしますが/わたしは心を尽くしてあなたの命令を守ります。彼らの心は脂肪に閉ざされています。わたしはあなたの律法を楽しみとします」(65~70節)。
「卑しめられ」る前から、この詩人は主なる神の「掟」を知っていたに違いない。しかし、単に知っていることと、その掟の真実さと重みに気づいて従うことには大きな違いがある。
苦しみ、「卑しめられ」ることによって、この詩人はようやく主なる神の戒めの大切さに目が開かれた。それは、この詩人が、主なる神の御前に謙ることが出来たということを意味する。
主なる神の「掟」を学ぶことは、単なる知識ではなく、生きる姿勢と態度に関わっている。それは、主なる神の御前に謙るということである。私達がこうして日々聖書を読むのも、単に聖書の知識を得るためではなく、私達が謙って主なる神と共に歩むようになるためである。
「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。あなたの口から出る律法はわたしにとって/幾千の金銀にまさる恵みです」(71~72節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心から賛美致します。今日もあなたの温かな愛と慈しみに包まれて、御前に引き出され、祈りを献げられることを心から感謝致します。
主よ、私は自分が人生に苦しんでいた時、あなたご自身も私のために十字架で苦しんで下さっていたことを知りませんでした。しかし、あなたは、私の傷をあなたの十字架の傷に接木して、あなたの命を注いで下さいました。
私をあなたに接ぐために、あなたは自ら十字架の道を選び取って下さいました。私は、あなたに接がれ、あなたの枝となりました。あなたの命が私の命となり、私は新たにされました。
このことを今日も覚えつつ生きることが出来るよう、導き、支えて下さい。
今人生の苦しみと痛みの中にあるお一人お一人をあなたご自身が握って下さい。その痛みと苦しみの窓からあなたの光を照らし、十字架のあなたに接木し命を注いで生かして下さい。そして、あなたにしっかり繋がった時、その痛みや苦しみがあったことさえ忘れてしまうほどの喜びと平安に満たして下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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