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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編119編73~80節

聖書日課 詩編119編73~80節(新共同訳 旧約pp.962-963)

 前段同様、ここにも詩人が主なる神によって「苦しめられた」ことが記されている。それは詩人が迷いに陥ったための苦しみであった。その迷いは、主なる神の「戒め」に逆らう「傲慢な者」「偽り」によって引き起こされた迷いだった。

 そのために、詩人は恥に陥れられ、「命」の危険に晒されていた。そして、遂に信仰の仲間までもが詩人を離れて行ってしまった。

「(ヨド)御手がわたしを造り、固く立ててくださいました。あなたの戒めを理解させ、学ばせてください。あなたを畏れる人はわたしを見て喜びます。わたしが御言葉を待ち望んでいるからです。主よ、あなたの裁きが正しいことを/わたしは知っています。わたしを苦しめられたのは/あなたのまことのゆえです。あなたの慈しみをもって/わたしを力づけてください/あなたの僕への仰せのとおりに。御憐れみがわたしに届き/命を得させてくださいますように。あなたの律法はわたしの楽しみです。わたしを偽りによって迷わせた傲慢な者が/恥に落とされますように。わたしはあなたの命令に心を砕きます。あなたを畏れる人、あなたの定めを知る人が/わたしのもとに立ち帰りますように。わたしの心があなたの掟に照らして/無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう」(73~80節)。

 しかし、詩人は、自分の身に降りかかった苦しみが、主なる神の「まことのゆえ」であることを知っていた。そして、主の「裁きが正しいこと」を受け入れていた。

 ここに詩人の謙りがあった。苦しみに嘆くことも、不平不満を口にすることもせず、詩人は、ただ主の慈しみに依り頼み、主の「御言葉を待ち望ん」だ。

「御憐れみがわたしに届き/命を得させてくださいますように。あなたの律法はわたしの楽しみです」

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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