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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編74編

聖書日課 詩編74編(新共同訳 旧約pp.909-910)

 罪のために国を失った神の民。主なる神の掟に逆らい、偶像を拝み、貧しい人々を虐げ続けたために、都も神殿も全て破壊された神の民。預言者の声は絶えて久しく、主なる神に「刃向かう者」の嘲り侮る声だけが響き渡り、永久に続くかのように思える日々…。第74編は、そのような滅びと辱めの状況の中で、主なる神に向かい、主なる神に訴える嘆きと祈りの詩である。

「【マスキール。アサフの詩。】神よ、なぜあなたは/養っておられた羊の群れに怒りの煙をはき/永遠に突き放してしまわれたのですか。どうか、御心に留めてください/すでにいにしえから御自分のものとし/御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を/あなたのいます所であったこのシオンの山を。永遠の廃虚となったところに足を向けてください。敵は聖所のすべてに災いをもたらしました。あなたに刃向かう者は、至聖所の中でほえ猛り/自分たちのしるしをしるしとして立てました」(1~4節)。

「わたしたちのためのしるしは見えません。今は預言者もいません。いつまで続くのかを知る者もありません。神よ、刃向かう者はいつまで嘲るのでしょうか。敵は永久にあなたの御名を侮るのでしょうか」(9~10節)。

 絶体絶命、万事休す、四面楚歌という状況の中で、どこまでも主なる神に向かい、祈り、訴える。それが〈神の民〉というものではないか。たとえそれが先祖の犯した罪の故の裁きであろうと、自分自身の罪の故であろうと、主なる神の御前にひれ伏し、悔い改め、謙るのである。

 何故なら、主なる神の約束と慈しみは、決して変わることなく確かだからである。人間の約束ならば果たされないこともあるだろう。人の心ならば変わってしまうこともあるだろう。しかし、主なる神の計画、主なる神の「契約」は、決して変わることはない! 時が来れば、必ず成就する。

 主なる神の確かさ、その誠実さに依り頼む。そこに信仰がある。振り返れば、主なる神は、「海を分け」、敵の「頭を打ち砕」いて神の民を救い出された(13~14節)。また、主なる神は、「太陽」と月を造り、「昼」「夜」「夏と冬を造られた」御方である(16~17節)。これほど偉大で力ある存在が他にあるだろうか? この偉大で、確かな、決して変わることのない主なる神に向かって、この詩の作者は叫び祈る。

「契約を顧みてください。地の暗い隅々には/不法の住みかがひしめいています。どうか、虐げられた人が再び辱められることなく/貧しい人、乏しい人が/御名を賛美することができますように」(20~21節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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