神の民イスラエルは、主なる神を知ろうとしない「異国の民」に攻め込まれ、敗北し、国を滅ぼされた。それによって、彼らは「近隣の民から辱められ」、「嘲られ、そしられ」た。
「【賛歌。アサフの詩。】神よ、異国の民があなたの嗣業を襲い/あなたの聖なる神殿を汚し/エルサレムを瓦礫の山としました。あなたの僕らの死体を空の鳥の餌とし/あなたの慈しみに生きた人々の肉を/地の獣らの餌としました。彼らは、エルサレムの周囲に/この人々の血を水のように流します。葬る者もありません。わたしたちは近隣の民に辱められ/周囲の民に嘲られ、そしられています」(1~4節)。
異国の民は、「彼らの神はどこにいる」と言って(10節)、神の民イスラエルと主なる神を蔑み、嘲った。しかし、それはイスラエルが主なる神に逆らい、罪を犯し続けた結果であった。つまり、イスラエルにとっては自業自得の顛末であり、まさしく主なる神がおられるからこその出来事だった。
この苦しみの中で、この詩の作者は主なる神に2つのことを祈り願った。一つは、神の民と主なる神を嘲り、そしる「異国の民」への裁きである。
「御怒りを注いでください/あなたを知ろうとしない異国の民の上に/あなたの御名を呼び求めない国々の上に」(6節)。
これは単なる個人的な報復の願いではない。主なる神を愛する故に、これ以上主なる神に対する冒瀆を我慢出来ないという激しく熱い信仰の願いであり、祈りであった。
そして、もう一つは次のような願いである。
「どうか、わたしたちの昔の悪に御心を留めず/御憐れみを速やかに差し向けてください。わたしたちは弱り果てました。わたしたちの救いの神よ、わたしたちを助けて/あなたの御名の栄光を輝かせてください。御名のために、わたしたちを救い出し/わたしたちの罪をお赦しください」(8~9節)。
これは主なる神に罪の赦しを願う祈りである。興味深いのは、赦すことによって「御名の栄光を輝かせてください」「御名のために、罪をお赦しください」と祈られていることである。イスラエルへの愛と選びの約束は、人間の裏切りと罪にもかかわらず、決して変わることがない主なる神の誠実さと確かさの現れである。それ故、赦しは主なる神の「栄光」である。だから、作者は最後にこう祈っている。
「わたしたちはあなたの民/あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ/代々に、あなたの栄誉を語り伝えます」(13節)。
西原新生バプテスト教会
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