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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編13編

聖書日課 詩編13編(新共同訳 旧約p.844)

「いつまで」「いつまで」という言葉の繰り返しに、長引く苦難の中で主なる神に問いかけずにはいられない信仰者の深い苦悩が表されている。

「いつまで、主よ/わたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。いつまで、わたしの魂は思い煩い/日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え/わたしの目に光を与えてください/死の眠りに就くことのないように/敵が勝ったと思うことのないように/わたしを苦しめる者が/動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り/主に向かって歌います/『主はわたしに報いてくださった』と」(2~6節)。

 人生には、このような苦難の時が誰にでもあるのではないか。待っても、待っても、苦しみが無くならない。祈っても、祈っても、状況は変わらない。そのような苦しみの中で、私達の心は、「神様は私のことなどお忘れになったのだろうか」という不安と不信に苛まれる。

 しかし、そのように悩むこと自体は、決して不信仰ではない。寧ろ、主なる神を信じているからこその苦悩でもあると言える。何故なら、主なる神を信じていても、私達には分からないことがあるからである。だから、その苦しみや疑問を主なる神に直接ぶつけることも、信仰の一つの表れと言うことが出来る。

 このような葛藤を含めた主なる神とのやり取りを通して、私達の信仰はより一層深まっていくのではないか。そして、ダビデもまた、そのような苦しみと葛藤の中で、主なる神への信頼を深める経験をした。

「あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り/主に向かって歌います/『主はわたしに報いてくださった』と」(6節)。

 主の「慈しみに依り頼」む時、私達の「心」「喜び」が湧き上がり、主なる神への感謝と賛美の「歌」が生まれる。それは、状況に左右されることのない深い平安であり、確かな信頼の思いである。イエス・キリストは、このような平安を私達に約束して下さった。

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしがこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネによる福音書14章27節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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