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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編22編

聖書日課 詩編22編(新共同訳 旧約pp.852-854)

 第22編は、詩編の中でも有名なものの一つである。イエス・キリストが十字架の死の御苦しみの中で語られた言葉の一つが、この中に出てくるからである。

「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか」(2節、マタイによる福音書27章46節、マルコによる福音書15章34節)。

 主なる神に見捨てられたとしか表現しようのない暗闇。「何故?」と問わずにはいられない苦しみ。イエス・キリストは、十字架の上で、その暗闇と苦しみを詩編22編の言葉をもって主なる神に訴えられた。

 詩編の言葉には、何の説明もなくただ読んでいるだけで心に深く響いてくるということが多くある。勿論、他の書でもそういうことはあるが、詩編にはそれが特に多い。

 それは、詩編の言葉が、私達の心の奥深くにある苦しみや悲しみを、まさにぴったりと言い表してくれているからである。或る神学者は「いかなる時にも間に合ってくれる書物」が詩編だと言っている。興味深い説明である。

 ここで言われている「間に合う」というのは、私達の思いを表現するのにぴったり間に合うということだけではない。詩編の言葉が、直接或いは間接に、私達を主なる神へと向かわせてくれるのに相応しい言葉だということでもある。

 つまり、詩編の言葉は、私達の現実、私達の心の奥底の本音にまで届いて、私達を再び主なる神のもとへと導き、出会わせてくれるものである。この恵みの御言葉を、じっくり味わい続けたい。

「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。だがあなたは、聖所にいまし/イスラエルの賛美を受ける方。わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない」(2~6節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの憐れみ、慈しみの中に置いて下さり、御前に祈りを献げさせて下さることを、心から感謝致します。

 主よ、あなたの苦しみの故に私達は赦され、救われました。自分では決して負うことの出来ない罪の重荷をあなたが代わって負って下さいました。そして、あなたの希望と喜びを私達に満たして下さいました。

 主よ、決して忘れません。あなたご自身で私達を満たして下さい。あなたは私達の神、私達はあなたのものです。

 今日もあなたの子供達の上に、あなたの溢れる恵みを注いで下さい。あなたのご恩寵を忘れることなく、あなたのものとされる喜びと希望の中を歩くことが出来ますよう、助け、導いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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