罪に陥った人間の深く激しい苦悩、それが第38編のテーマである。
「主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。あなたの矢はわたしを射抜き/御手はわたしを押さえつけています。わたしの肉にはまともなところもありません/あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません/わたしが過ちを犯したからです。わたしの罪悪は頭を越えるほどになり/耐え難い重荷となっています。負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます/わたしが愚かな行いをしたからです。わたしは身を屈め、深くうなだれ/一日中、嘆きつつ歩きます。腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。もう立てないほど打ち砕かれ/心は呻き、うなり声をあげるだけです」(2~9節)。
罪を犯し、苦しみ悩む時、私達はその苦悩をどんな言葉で表せばよいか分からないことがある。そのような時、私達に代わってその苦悩をピッタリ表現してくれるのが詩編の言葉である。これは詩編の独壇場とも言えるかも知れない。
第38編も、ただ朗読するだけでも心に響き渡ってくる。
しかも、以前にも述べたように、詩編の素晴らしいところは、ただ苦しみを表現してくれるだけでなく、そのような苦しみのどん底で、主なる神への呼びかけと信頼へと私達を導いてくれるところにある。
その意味で、この第38編は、全体が主なる神への呼びかけであり、祈りである。祈りの中で苦悩を表し、正直に、率直に、主に助けを願い求めること。そこには、謙った心と、主への深く確かな信頼がある。
「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ/御自身でわたしに答えてください」(16節)。
西原新生バプテスト教会
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