「神を知ら」ないことによって生まれる「腐敗」、「神などない」と主なる神の存在を否定することから生じる「忌むべき行い」、そして、主なる神に「背き」、「主を呼び求めることをしない」人々の行う「悪」…罪に陥った人間社会の実情は、昔も今も変わらない。
「【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。主は天から人の子らを見渡し、探される/目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。悪を行う者は知っているはずではないか。パンを食らうかのようにわたしの民を食らい/主を呼び求めることをしない者よ。そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます。貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても/主は必ず、避けどころとなってくださる。どうか、イスラエルの救いが/シオンから起こるように。主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき/ヤコブは喜び躍り/イスラエルは喜び祝うであろう」(1~7節)。
「善を行」おうとせず、汚れの中に生き、「主を呼び求め」ようともしない人々の目には、主なる神の存在が見えることも、知られることもない。
何故なら、「神は従う人々の群れにいます」からである(5節)。主なる神は「天から人の子らを見渡し」、「目覚めた人、神を求める人はいないか」と「探される」方である。そして、主なる神に従う人々と共におられ、彼らの「避けどころとなってくださる」。
主が共におられること、それが祝福の源であり本質である。そこにこそ、真の平安と喜びがある。
今、主なる神はあなたと共におられるだろうか。あなたの教会、あなたの家族、あなたの仲間の中に、主なる神は住んで下さっているだろうか。主は、「主を呼び求める」者、主の御教えに従う人々と共におられる。
西原新生バプテスト教会
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