6~7章は、エリファズの言葉に対するヨブの答えである。
エリファズは、因果応報の考えから、ヨブが受けている苦難はヨブの罪の報いであるとして、ヨブに悔い改めを勧めた。しかし、それは却ってヨブを苦しめる結果になった。彼の苦しみは、彼の罪に対する裁きではなかったからである。
勿論、ヨブは自分が罪人であることを認めていた。そして、そのような自分が恵みによって主なる神の僕とされていることに生きる意味を見出していた。しかし今、ヨブは、理由の分からない苦しみを受けることによって、主なる神が自分に敵対しておられるという思いに悩み苦しむようになっていた。それは、ヨブにとって、主なる神の恵みという生きる基盤を失ったも同然であった。
このように、ヨブはこの時、物質的、精神的、肉体的な苦しみに加えて、信仰的にも危機の中にあった。その苦しみの中で、ヨブは、主なる神に向かって自分を「滅ぼしてください」と祈った(9節)。主なる神の恵みを失った以上、いっそ滅んでしまった方が良いと考えたのである。また、友に対しては、愛をもって自分を理解して欲しいと願った。
「だが今は、どうかわたしに顔を向けてくれ。その顔に、偽りは言わない。考え直してくれ/不正があってはならない。考え直してくれ/わたしの正しさが懸っているのだ。わたしの舌に不正があろうか/わたしの口は滅ぼすものを/わきまえていないだろうか」(28~30節)。
自分に与えられた苦難は、自分の罪のためではないことを分かってもらいたいと、心の底から求めたのである。
主なる神の沈黙と、友人達の誤解に基づく批判…。ヨブの中で、新たな信仰の境地が開ける必要が迫っていた。しかし、そこに至るまでには、友人達とのやり取りを経なければならなかった。
「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります」(ヤコブの手紙1章2~4節)。
西原新生バプテスト教会
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