26章は、シュア人ビルダドの言葉に対するヨブの「答え」である(1節)。ビルダドの言葉が短かったためか、ヨブの「答え」もさほど長くない。しかし、その内容は、ビルダドに対する痛烈な反論となっている。
まず、2~4節で、ヨブは立て続けに3つの皮肉とも言える疑問をぶつけている。2節から1節ずつ見ていこう。
「あなた自身はどんな助けを力のない者に与え/どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか」(2節)。
主なる神を知っているというあなたの言葉は、傷つき弱り果てている者を、より一層苦しめるばかりで、何の「助け」にも「救い」にもなっていない。
「どんな忠告を知恵のない者に与え/どんな策を多くの人に授けたというのか」(3節)。
主なる神の御心が分からなくて苦しんでいる者に、何の有益な「忠告」も「与え」なかったではないか。あなたには助けになる「知恵」も「策」もない。そして極めつけは次の言葉である。
「誰の言葉を取り次いで語っているのか。誰の息吹があなたを通して吹いているのか」(4節)。
結局、あなたの言葉は、主なる神からいただいたものでも、神の霊によるものでもなく、人間の知恵と考えに過ぎない。だから、真に主なる神を知りたいと願う者にとって何の助けにもならない。その上で、ヨブは言う。
「神についてわたしたちの聞きえることは/なんと僅かなことか。その雷鳴の力強さを誰が悟りえよう」(14節)。
ヨブが心底から求めているのは、神に関する人間の哲学や知識ではなく、主なる神の言葉であり、主なる神御自身である。何故なら、それ以外に本当の慰めも救いも解決も有り得ないからである。これは、真の信仰者の深く激しい魂の飢え渇きの姿である。ヨブの苦しみの深さが、それを求めさせていた。
「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。/神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるのか」(詩編42編2~3節)。
西原新生バプテスト教会
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