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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記36章

聖書日課 ヨブ記36章(新共同訳 旧約pp.823-824)

 エリフは、主なる神についての自分の確信を語り続けた。その確信とは、主なる神は悩みや苦しみを通して人間に語って下さるということである。

 つまり、エリフは、ヨブの受けている「苦難」には、主なる神からヨブへのメッセージが込められていると考えていた。それは、ヨブに自分の間違いを気付かせ、悔い改めへと導いて、彼を救い出すためのメッセージだというのである。

 その点で、エリフはヨブの3人の友人達と立場を異にしていた。3人の友人達は、ヨブの苦難を彼自身の罪に対する主なる神の裁きと見ていた。それに対し、エリフは、「苦難」を主なる神からのメッセージと見て、そこにヨブを「救い出」そうとする主なる神の恵みと憐れみを見ていた。

「神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し/苦悩の中で耳を開いてくださる。神はあなたにも/苦難の中から出ようとする気持を与え/苦難に代えて広い所でくつろがせ/あなたのために食卓を整え/豊かな食べ物を備えてくださるのだ。あなたが罪人の受ける刑に服するなら/裁きの正しさが保たれるだろう」(15~17節)。

 この違いは、ヨブに大きな影響があったようである。3人の友人達に対し、ヨブは激しい議論を交わした。しかし、エリフに対しては、ヨブは一言も反論したり言い返したりしていない。それは、ヨブの苦難をヨブの罪のせいにしていないことに対する自然な反応だったことだろう。或いは、苦難の向こうに主なる神の恵みと憐れみを見ていたことへの反応でもあったかも知れない。

 しかし、それは、エリフがヨブの立場を理解し、ヨブの側に立っていたということではない。エリフは、あくまでも主なる神についての自分の確信に立って語っていたからである。

 いずれにしても、人の語る言葉の影響は私達が考える以上に大きいことを心に留めたい。

「柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。知恵ある人の舌は知識を明らかに示し/愚か者の口は無知を注ぎ出す」(箴言15章1~2節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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