ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記35章

聖書日課 ヨブ記35章(新共同訳 旧約pp.822-823)

 エリフは、引き続き、主なる神に対するヨブの高ぶった態度を指摘し、そこに過ちがあると批判した(2節)。そして、主なる神は超越的な方であり、人間が「正しく」ても間違っていても、それによって影響を受けるような方ではなく、ヨブが自分を主なる神よりも正しいと主張するのは高慢であると言った(6~7節)。

 このエリフの意見には、確かに傾聴すべき内容がある。この時、ヨブは、自分の苦しみと自分の立場に固執する余り、自分の義を主なる神の義以上のものとしてしまっていたからである。

 この時ヨブは、黙ってエリフの言葉を聞き続けていた。もしかしたら、ヨブもエリフの言葉を聞きながら、彼の意見には一理あることを感じていたのかも知れない。

 しかし、エリフにも、やはり行き過ぎと誤解があった。9節以降で、エリフは、苦しみの中で「助けを求める」者は、ただ苦しみを取り除いてもらいたいだけで、真に主なる神を求めているのではないと言っている。それ故、主なる神は彼らの求めに「答えてくださらない」というのである。

「抑圧が激しくなれば人は叫びをあげ/権力者の腕にひしがれて、助けを求める。しかし、だれも言わない/『どこにいますのか、わたしの造り主なる神/夜、歌を与える方/地の獣によって教え/空の鳥によって知恵を授ける方は』と。だから、叫んでも答えてくださらないのだ。悪者が高慢にふるまうからだ。神は偽りを聞かれず/全能者はそれを顧みられない。あなたは神を見ることができないと言うが/あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」(9~14節)。

 確かにそういう人々がいるのは事実である。しかし、エリフは、ヨブのことをそう言っている。ここにエリフの誤解があった。何故なら、ヨブが真に求めていたのは、主なる神ご自身だったからである。主の僕であるヨブは、主なる神との親しい交わりの中に生きて来た。エリフには、それが分からなかった。エリフは、そういう主なる神との交わりがあることを知らなかったのではないか。

「わたしは、神に近くあることを幸いとし/主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう」(詩編73編28節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com