エステル記の最終章は、僅か3節から成り、エピローグとなっている。ここには、エステルの名は記されておらず、モルデカイと彼に与えられた「栄誉」について記されているだけである。
「クセルクセス王は全国と海の島々に税を課した。王が権威をもって勇敢に遂行したすべての事業と、またその王が高めてモルデカイに与えた栄誉の詳細は、『メディアとペルシアの王の年代記』に書き記されている。ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した」(1~3節)。
人間は主なる神に用いられる器に過ぎない。確かに、その素晴らしい信仰と働きの故に、「栄誉」と称賛を受けることはある。しかし、人を用いて御業を成し遂げて下さったのは主なる神である。主なる神こそ、真にほめたたえられるべき御方である。
ところが、とても不思議で興味深いことに、エステル書には「神」という言葉が一度も出てこない。本書が書かれた当時、ペルシア帝国の支配の下にあったため、そういう記述を控えたという説もある。それにしても、神の民の歴史を記す書に、一度も「神」の名が記されていないというのは驚きである。
しかし、よく考えてみると、「神」の名が一度も出てこないにもかかわらず、この書には主なる神の存在と力ある御業が満ち溢れている。この書を読んで、主なる神の素晴らしさに驚き、感動しない信仰者は一人もいないだろう。
主なる神から遠く離れた所に置かれているように思われても、主なる神のご支配が及ばない所はこの地上のどこにもない。たとえ主なる神の御名が崇められない時代や社会であっても、主なる神は、信じる人と共におられ、その人を常に助け、守り、導き、祝福して下さる。この約束を、心にしっかり覚えよう。
「しかし、わたしは生きており、主の栄光は全地に満ちている」(民数記14章21節)。
西原新生バプテスト教会
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