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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記1章

聖書日課 ヨブ記1章(新共同訳 旧約pp.775-776)

 ヨブは、「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生き」る信仰者であった(1節)。「ある日」(6節)、主なる神はサタンに対して、ヨブを「わたしの僕」と呼んで賞賛した(8節)。しかし、サタンは、ヨブが「神を敬う」のは、主なる神から特別な「利益」を受けているからであって、もしその利益が取り去られれば、彼は神を「呪うにちがい」ない、と主なる神に挑戦を仕掛けてきた。

「サタンは答えた。『ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません』」(9~11節)。

 つまり、ヨブの信仰は、いわゆる〈御利益信仰〉であって、人間は御利益がなければ、「神を敬う」ことはないというのがサタンの主張だった。或る意味で、ヨブ記は、このサタンの挑戦的な言葉に対する答えをもたらすために書かれた書であると言える。

 そこで、主なる神はサタンにヨブの財産を奪うことを許可した(12節)。するとサタンは早速出かけて行って、ヨブの所有する財産、彼の息子や娘の全てを1日にして取り去ってしまった(13~19節)。

 この突然の事態に、ヨブは嘆き苦しんだ。しかし、彼は決して「神を非難」したり、呪うことはなかった。ヨブは言った。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(21節)。

 ここにヨブの信仰があった。それは、祝福も苦難も全てを与えられる主を畏れ敬う信仰である。またそれは、御利益を超える主なる神の恵みに信頼する信仰である。

 しかし、ヨブには、更に厳しい試練が待っていた。しかも、ヨブは、天における主なる神とサタンのやり取りなど知る由もない。何のための苦しみなのかを彼は知らなかったのである。ここにヨブの苦しみの本質があった。それはまさに、主なる神を信じるが故の苦しみであり葛藤であった。

 全ての苦しみには、何らかの意味がある。ただ、その意味が人間には分からないことがある。しかし、だからこそ、目に見える御利益を超えた主なる神への愛と信頼の大切さがある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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