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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エステル記5章

聖書日課 エステル記5章(新共同訳 旧約pp.768-769)

「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」と同胞の救いのために命をかけることを決心したエステルは(4章16節)、「三日三晩」「断食」と祈りによる備えの後、遂にクセルクセス王の前に出た。すると、王は「満悦の面持ち」で、「手にし」ていた「金の笏」エステルに「差し伸べた」

「それから三日目のことである。エステルは王妃の衣装を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた」(1~2節)。

 それはエステルの命が救われたことを意味した。主なる神が彼らの祈りにお答え下さったのである。エステルが差し出された「笏の先に触れ」ると、王は言った。

「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」(3節)。

 すると、エステルは答えた。

「もし王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください」(4節)。

 エステルの願いは、同胞のユダヤ人を救うことであり、そのためにハマンを失脚させることだった。それなら、どうしてエステルは、彼女を快く迎え入れてくれた王にすぐに助けを請わなかったのだろうか。エステルには策略があり、そのための機会を、祈りつつ待っていたのだろう。だから、エステルはその晩は何も告げず、次の夜、王とハマンの2人を酒宴に招いた。

 祈りつつ時を待つこと、これは信仰の歩みにとってとても大切である。私達は、出来るだけ早くと願いがちだが、必ずしも早いほど良いわけではない。主なる神の時に委ねることが大切である。

 その晩、「ハマンはうきうきと上機嫌で」家に帰り(9節)、王妃に招待されたことを家人に自慢した(12節)。また、自分に対してひれ伏そうとしないモルデカイへの怒りをぶちまけた(13節)。そして、ハマンの妻と「親しい友だち」の勧めに従って、モルデカイを「つるす」ための「高い柱」「立てさせた」(14節)。そこにつるされるのが自分であることも知らずに…。

 こうして、神の民の敵ハマン失脚の舞台が整えられた。ユダヤ人救出の道が間もなく開かれようとしていた。

「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」(コヘレトの言葉3章1節、2節、11節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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