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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下29章

聖書日課 歴代誌下29章(新共同訳 旧約pp.708-710)

 ユダ王国の名君と言えば、ヒゼキヤ王、そしてヨシヤ王だろうか。歴代誌は、ヒゼキヤ王について29章から32章までの4章にわたって記している。

「ヒゼキヤは二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアビヤといい、ゼカルヤの娘であった。彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。その治世の第一年の第一の月に、ヒゼキヤは主の神殿の扉を開いて修理し、祭司とレビ人を連れて来て、東の広場に集め、言った。『レビ人よ、聞け。今、自分を聖別し、先祖の神、主の神殿を聖別せよ。聖所から汚れを取り去れ』」(1~5節)。

 ヒゼキヤ王が行った改革から様々なことを学べる。まず目に付くのは、その迅速さである。3節に「その治世の第一年の第一の月に」とあるように、ヒゼキヤは「二十五歳」で即位すると数日の内に、「主の神殿の扉」「修理」「聖別」に取り掛かった。

 このような事業は、単なる思いつきで出来る筈がない。ヒゼキヤは即位する前から、自分は何をすべきかをきちんと考え、準備していたに違いない。彼は、父であるアハズ王によって汚されてしまった神殿と祭儀の再建の機会を、祈りつつじっと待ち望んでいたのである。

 次に学ぶべきことは、その臨機応変さである。ヒゼキヤは、神殿の聖別を「レビ人」に命じた。レビ人は神殿に仕える人々だから、何も不思議なことはないように思われる。だが、ヒゼキヤは何故「祭司」に命じなかったのだろうか。

 それは、「レビ人」の方が「自分を聖別することについて祭司たちよりも忠実だった」ことを見抜いていたからである。

「ただ祭司は数が少なく、焼き尽くす献げ物全部の動物の皮をはぐことができなかった。そこで、その作業が終わるまで、あるいは他の祭司たちが自分を聖別するまで、彼らの兄弟であるレビ人が彼らを助けた。レビ人は自分を聖別することについて祭司たちよりも忠実だったからである」(34節)。

 ヒゼキヤ王は、若くして、主にあって自分のなすべきことを知っていた。そして、それを迅速に行う実行力と、人を選ぶ目も備えていた。まさに名君と呼ばれるに相応しい信仰と才覚の持ち主だった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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