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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下32章

聖書日課 歴代誌下32章(新共同訳 旧約pp.713-715)

 32章には、ヒゼキヤ王の治世半ばに訪れた3つの試練が記されている。

 その一つが、アッシリアの攻撃である。

「ヒゼキヤがこれらの真実な事を行った後、アッシリアの王センナケリブが攻めて来た。彼はユダに侵入し、その砦の町々に対して陣を張り、町々を攻め取ろうとした」(1節)。

アッシリアの王センナケリブが攻めて来た」時、ヒゼキヤ王は、一旦は貢ぎ物を納めて危機から逃れようとした(列王記下18章14節以下)。しかし最終的には、主なる神にのみ拠り頼んでアッシリアに対抗した。そのため、「主は御使いを遣わして」アッシリア軍を「全滅させられた」(21節)。

 また、この出来事の前に、ヒゼキヤ王は「病にかかり、死にそうになった」「彼が主に祈」ると、「主は彼にこたえ」、その命を長らえさせて下さった(24節)。

 ところが、この時、「ヒゼキヤは受けた恩恵にふさわしくこたえず、思い上がり、自分とユダ、エルサレムの上に怒りを招いた」(25節)。もしかしたらアッシリアによる攻撃はそのためだったのかも知れない。しかし「ヒゼキヤはエルサレムの住民と共に、思い上がりを捨ててへりくだったので、その時代に彼らが主の怒りに襲われることはなかった」(26節)。彼らの信仰は試練によって練り上げられたのである。

 もう一つの試練は、ヒゼキヤ王の病気見舞いのためにバビロンから遣わされた使節によるものだった(31節)。その時ヒゼキヤは、バビロンの使節に王宮や「宝物庫」「武器庫」に至るまで、「すべて」「彼らに見せ」てしまった(列王記下20章13節)。「神はヒゼキヤを試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨て置かれた」と記されていることから(31節)、この時ヒゼキヤ王の心には、「思い上がり」と気の緩みがあったものと思われる。即位以来、すごい勢いで宗教改革を進めてきたヒゼキヤ王も、治世半ばで全てが滞りなく成し遂げられる中で、緊張感や目標を失いかけていたのかも知れない。

 いずれにしても、主なる神は意味もなく試練を与えられることはない。「こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた」とあるように(申命記8章2節)、主なる神は、一つ一つの試練を通して私達の信仰の真実を試され、練り上げられる。大切なことは、順境の時も試練の時も、いつも主の御前に謙り、主に信頼して御心のままに歩むことである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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