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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下30章

聖書日課 歴代誌下30章(新共同訳 旧約pp.710-711)

 ヒゼキヤ王の次の改革は、イスラエルの神、主のために過越祭を行う」ことであった。それも神殿の修復と聖別を実行して間もない「第二の月」のことであった。しかも、3節の記述から察すると、本当は律法の規定通り「第一の月」に実行したかったが、余りに急なことで準備が整わなかったため、やむを得ず「第二の月に過越祭を行うこと」になったようである。

「ヒゼキヤはすべてのイスラエルとユダに使者を遣わし、またエフライムとマナセには書簡を送り、エルサレムの主の神殿に来てイスラエルの神、主のために過越祭を行うように呼びかけた。王とエルサレムの高官とすべての会衆は協議し、第二の月に過越祭を行うことに決定した。それは、まだ自分を聖別した祭司の数が十分でなく、民もエルサレムに集まっていなかったので、その時に過越祭を行うことができなかったからである」(1~3節)。

 過越祭は、出エジプトの出来事を記念する大事な祭りであり、イスラエルの民にとっては、神の民としてのアイデンティティを形成する上で欠かすことの出来ないものであった。しかし、王国分裂以降、この祭りが全国規模で執り行われることはなくなっていた。神の民の信仰再興を目指すヒゼキヤ王は、出来る限り早くこれを執行したかったに違いない。

 それにしても、王となって最初の月に神殿の修理と聖別を実行し、翌月には国を挙げての過越祭を執り行うとは、何という迅速さだろう! そして、何という信仰深さだろう! 若干「二十五歳」の若い王に(29章1節)、これほど速やかに民をまとめ動かす力があったとは、本当に驚くばかりである。

 しかし、それは別の観点から見れば、これまでのユダ王国の荒廃ぶりが、いかに深刻な状況であったかを物語っている。ヒゼキヤ王の迅速さは、堕落に対する反動のように思われる。

 またこの時、ヒゼキヤ王は、過越祭を祝うことを、ユダ王国だけでなく、既にアッシリアによって滅ぼされていた北イスラエル王国の残りの民にも呼びかけた(6~9節)。それは、ヒゼキヤが、神の選びの民としてのイスラエル民族の再興を願っていたということであり、彼の信仰の広さと深さの表れと言える。

 ところが、そのようなヒゼキヤ王の思いも空しく、北イスラエル王国の残りの民の多くは、王の申し出を「冷笑し、嘲った」(10節)。この時、最も救いを必要としていたのは、彼ら自身であったにもかかわらず、彼らは主なる神の「恵みと憐れみ」を自ら拒否し(9節)、滅びの道を歩み続けた。神の民の堕落は、最早ヒゼキヤ王の信仰をもってしても、取り返しのつかないところにまで陥っていた。このような歴史から学ぶことは、本当に大事である。

西原新生バプテスト教会
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