ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下19章

聖書日課 列王記下19章(新共同訳 旧約pp.611-614)

「ヒゼキヤ王の治世第十四年に、アッシリアの王センナケリブが攻め上り、ユダの砦の町をことごとく占領」するという危機が襲いかかった(18章13節)。信仰の有る無しにかかわらず、人生には突然危機に見舞われることがある。信仰が問われるのは、そういう時である。

 ところが、この時、ヒゼキヤはアッシリアの王に降伏し、「主の神殿と王宮の宝物庫」から大量の金銀を取り出して贈った(同14~16節)。あれほど信仰深い王が、どうしてこれほど簡単に屈服してしまったのだろうか? 突然の危機的状況に、冷静かつ信仰的な判断をすることが出来なかったのかも知れない。いかに信仰深いと言っても、ヒゼキヤも決して完璧ではなかった。

 しかし、アッシリアの王が、金銀を手に入れただけでそのまま大人しくしている筈がない。案の定、彼はユダに使者を遣わし、国を明け渡すよう脅迫してきた。しかも、イスラエルの神を罵り嘲るようなことまでして(同33~35節)。

 すると、一旦は財宝を渡すことで急場を凌ごうとしたヒゼキヤ王の信仰が、ここに至って再び目覚め始めた。

「ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った」(1節)。

 彼は重臣達を預言者イザヤの下に遣わし(2節)、国の救いのために祈ってほしいと願い出た(4節)。この時預言者イザヤは言った。

「それゆえ、主はアッシリアの王についてこう言われる。彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために」(32~34節)。

 そして、この言葉通り、主は一夜にしてアッシリアの陣営で十八万五千人を撃った」(35節)。これに慌てたアッシリアの王センナケリブは、即刻帰国した(36節)。こうしてイスラエルの主なる神の力と栄光が現された。

 本当に困り果てた時、何に、誰に頼るか、それはその後の人生を大きく分ける重要な選択である。ヒゼキヤは、一時は迷いもあったが、最終的には主なる神に依り頼む道を選んだ。それには大きな勇気と決断が必要だったに違いない。そして、それにはまず、主の御前に謙り、悔い改めて自分自身を省みることが必要だった。ヒゼキヤはそのために「主の神殿に行った」(1節)。信仰の勇気と決断の力は、そこから生まれた。

「高く、あがめられて、永遠にいまし/その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み/打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり/へりくだる霊の人に命を得させ/打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ書57章15節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com