聖書日課 列王記下21章(新共同訳 旧約pp.615-617)
21章には、ユダの王マナセについての記述がある。マナセの父は、ヒゼキヤ王、聖書が「その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」と語るほど信仰深い王だった(18章5節)。
ところが、マナセは、父ヒゼキヤとは全く正反対の道を歩んだ。まるで振り子が一方に大きく振れると、今度は反対側に大きく振れるように。
「マナセは十二歳で王となり、五十五年間エルサレムで王位にあった。その母は名をヘフツィ・バと言った。彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行った」(1~2節)。
マナセは「父ヒゼキヤが廃した聖なる高台を再建し」た。また「イスラエルの王アハブ王が行ったように、バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った」。更に「天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた」(3節)。
このことについて聖書は次のように記している。
「ユダの王マナセはこれらの忌むべき事を行い、かつてアモリ人の行ったすべての事より、更に悪い事を行い、その偶像によってユダにまで罪を犯させた」(11節)。
かつて異邦人は、彼らの行った罪の故に滅ぼされた。今マナセ王は、その異邦人よりも「更に悪い事を行」ったと言われている。これは一体どういうことだろうか。
異邦人は偶像を拝み、偶像の神殿を築いてこれに仕えた。それが彼らの罪とされた。ところが、マナセとその民は、真の神の神殿に敢えて偶像を置いて、主の恵みと憐れみを冒瀆し拒んだ。異邦人よりも「更に悪い事を行い」の意味はここにある。つまり、彼らが異邦人よりも沢山罪を犯したというのではなく、異邦人もしなかったような冒瀆の罪を犯したということである。さすがにここまで来ると、後は滅びるほかに道はないように思われる。
ところが、歴代誌には、このような罪を犯したマナセ王が、アッシリアに捕囚として連れて行かれた後、その地で悔い改め、主に立ち帰って再びエルサレムに帰ることが出来たと記されている(歴代誌下33章12~13章)。「あのマナセが?」と驚かされるが、人間には生きている限り悔い改めの可能性があり、主なる神は最後の最後まで決して見捨てることはないということがここに示されている。
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」(エゼキエル書33章11節)。
西原新生バプテスト教会
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